所蔵資料の紹介

資料の紹介

緒方洪庵肖像

南譲画、篠崎小竹賛 1850(嘉永3)年 適塾記念センター所蔵

1849(嘉永2)年、洪庵40歳のときの肖像。賛は、洪庵と親交があり、大坂で詩文に秀でた篠崎小竹のもの。

扶氏経験遺訓

全30巻 緒方洪庵訳 1857(安政4)年 大阪大学所蔵

ベルリン大学教授フーフェラントの内科書 Enchiridion Medicum (医学必携、臨床入門)の第2版(1836年版)の、ハーヘマンJr.によるオランダ語訳に感銘を受けた洪庵は、義弟緒方郁蔵らとともにこれを翻訳し、書名を『扶氏経験遺訓』とした。翻訳終了後15年を経た1857(安政4)年、治療編の最初の3巻と薬方編2巻が完成し、翌年に刊行発売された。全30巻が出版されたのは1861(文久元)年のことである。

病学通論

緒方洪庵訳述 1849(嘉永2)年 適塾記念センター所蔵

本書は日本語で書かれた最初の病理学書である。洪庵は師宇田川榛斎(玄真)の遺志を受け継ぎ、原書を調べ、さらに舎密術・窮理学・内科外科の書物を参照しながら遺稿を補充校正し、脱稿した。当初12巻を刊行する予定であったが、実際には「生機論」「疾病総論第一」「疾病総論第二」の3巻だけが刊行された。

虎狼痢治準

緒方洪庵著 1858(安政5)年 適塾記念センター所蔵

1858(安政5)年秋、大坂でコレラが大流行した際、洪庵が緊急急ぎ出版したコレラの治療指針書。モスト『医家韻府』(1836年版)、コンラジ『病学各論』(同)、カンスタットの治療書(1848年版)の記述をふまえ、コレラの治療法を示している。

適塾塾生等級別名簿

1859(安政6)年 適塾記念センター所蔵

1859(安政6)年9月朔日現在の適塾生81名の席次である。塾頭長与専斎、塾監斉藤策順の名を冒頭に記し、第一等から第九等までの各等および無等の該当者が掲げてある。ただし、第一・第二等は「無人」とあり、該当者がなかった。

除痘館発行の種痘医免許証

1866(慶応2)年 適塾記念センター所蔵

1849(嘉永2)年11月に洪庵らが大坂古手町に開設した除痘館は、1858(安政5)年には全国に先駆けて官許を受け、1860(万延元)年に尼崎一丁目に移転拡張した。この免許証は、摂津国川辺郡小浜村の医師で洪庵夫人八重の弟、山中良和にあてて出されたもの。

洪庵の薬箱

適塾記念センター所蔵

洪庵が40歳頃まで使用したと考えられる薬箱。最上段は上蓋をかぶせる形で、第二段から下は五段の引き出しで構成され、生薬の薬袋70袋が納められている。