活動日誌

適塾門下生ご子孫との合同調査

2023年3月10日

適塾門下生には、未だよく知られていない人物が少なくありません。歴史に埋もれた人物を発掘すべく、適塾記念センターでは適塾門下生調査を進めています。

門下生の中に阿部養庵という人物がいます。阿部養庵については、『適々斎塾 姓名録』にその名があるのみで、これまで調査がなされていませんでした。

そのようななか、20212月、阿部養庵の御子孫の阿部朋孝(あべ ともなり)さんから、適塾記念センターに電話を頂きました。阿部さんは、東京で会社を経営される傍ら、ご自身でもご先祖のことを熱心に調べられていました。

早速、当センターにお越し頂き、ご所蔵の資料を拝見しました。

阿部養庵は浜田(浜田市)の藩医。安政3年(1856)に適塾に入門します。おそくとも安政5年(1858)には藩に戻りますが、惜しくも、その3年後の文久元年(1861)にこの世を去ります。37才の若さでした。

夭折であったこと、および阿部家に蔵されている資料が限られていたため、その後の調査は難航しました。しかし、ご先祖のことを調べたい、その足跡を辿りたいという阿部さんの強い思いにも後押しされつつ、202283091日に、阿部さんご一行と西川(適塾記念センター特任研究員)が、岡山県津山市および島根県浜田市へ調査に行きました。

調査一日目

津山市洋学資料館において、阿部養庵と同じく浜田藩医の能勢家についての調査を行いました。津山と浜田藩の関係は、浜田藩が慶応2年(1866)幕長戦争の影響で、城を追われ、今の津山の地に鶴田藩を開いたことによります。同館長小島徹氏の協力を得、能勢家に詳しい同名誉館長下山純正氏にお話を伺いました。

また、津山市郷土博物館で、浜田藩士の記録をまとめた『明細分限帳』(美作浜田会所有)を閲覧しました。阿部養庵の記録を確認し、写真に収めました。これは阿部養庵の記録として貴重な資料です。

『明細分限帳』を閲覧する阿部さん.jpg『明細分限帳』を閲覧される阿部朋孝さん。

 

調査二日目 

島根県浜田市まで移動し、阿部家の菩提寺 来福寺に赴きました。ご住職に、阿部家の墓をご案内いただき、阿部養庵の墓を確認することができました。

ご先祖に静に手を合わされる阿部養庵ご子孫のお三方.jpgご先祖に静かに手を合される阿部養庵のご子孫のお三方。

なお、少し参道を登ったところにジェンナー頌徳碑があり、ご住職にご案内頂きました。ジェンナー(17491823年)は、イギリスの医師で牛痘接種法を確立した人物です。碑文の撰をみると「長与専斎」とありました。長与は、近代の衛生行政に多大な貢献をした適塾門下生で、阿部養庵と同時期に適塾で学んでいました。 これは奇遇な出会いでした。

ジェンナー頌徳碑。来福寺ご住職とともに。碑の側面の最後に「長与専斎撰并書」とある。.jpg

ジェンナー頌徳碑。来福寺ご住職とともに。碑の側面の最後に「長与専斎撰并書」とある。

 

調査三日目

 浜田市教育委員会にて、川本裕司・鍵本俊朗両氏に、浜田藩資料や地域に残る資料につき、当地の現在までの資料調査状況などを伺いました。入手困難な郷土資料についても情報を得ました。浜田市でも阿部養庵は必ずしも十分に認知されておらず、今後、地域史の益になる意味でも調査を進めていきたいと思っています。

 今回の調査の詳しい内容や成果などについては、『適塾』誌に反映する予定です。

 

 


適塾記念センターでの資料保存

2022年2月15日

適塾記念センターでは、緒方洪庵や適塾関係の多くの資料を保管しています。貴重な資料ですので、劣化しないよう適切な保管が求められます。今回は、当センターでの資料保存に関する取り組みをご紹介します。

当センターでは、資料は高機能収蔵庫で保管しています。収蔵庫の出入口は厳重に施錠され、温度・湿度が一定に管理され、資料の劣化を防いでいます。

しかし、単にこの特別収蔵庫に資料を入れておけばそれでよいわけではありません。資料に大敵な害虫等の対策を施してからでないと、害虫を収蔵庫に持ち込むことになってしまいます。

そこで、資料を殺虫・殺菌処置することが必須となります。

これまで、特別な薬剤を用いた燻蒸を行う計画が立てられていましたが、費用が嵩むことが問題でした。また薬剤の人体や資料への影響も完全にないとは言い切れません。そこで、さまざまな殺虫・殺菌処理を検討し、今年度から脱酸素剤を用いて殺虫することにしました。 

この方法は、酸素不透過性の材質で作られた専用のガスバリア袋に、殺虫対象となる資料と脱酸素剤を入れて一定期間密封して酸欠状態を作り、害虫を窒息させるものです。

この方法は、人体に安全、資料を損なわない、殺虫効果が高い、容易に実施可能であること、さらに、対象資料の多寡に応じて必要な脱酸素材とガスバリア袋をその都度用意すれば実施できるというメリットもあります。何より、一度に多くの費用がかからないため、経済的でもあります。 

では、その方法を具体的に説明します。

脱酸素剤として用いるのは、三菱ガス化学(株)のRPシステムが広く用いられており、これを用います。 IMG_2204.JPG

. 専用のガスバリア性の袋に、対象資料と脱酸素剤RP(Kタイプ)を必要量入れる。*若干多めに入れて確実に脱酸素殺虫できるようにします。

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. 脱酸素の確認のため、酸素の有無で色の変わる酸素インジケーターを入れる。有酸素では青色(左下)ですが、脱酸素状態になるとピンク色(右下)に変化します。

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. シーラーで密封をする。確実に密封します。

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.酸素インジケーターで脱酸素状態であることを確認し、5週間程度その状態を維持する。シバンムシの卵などは脱酸素状態に強く、これを死滅させるためにはやはり十分な期間が必要です。 

実際にやってみると、意外と手間がかかります(複数人で行うのが効率的です)。燻蒸だと一定の空間を一気に処理できるため、効率性は確かに劣るものの、低予算で実施可能かつ殺虫効果が高い資料保存の方法です。いまのところ順調に作業が進んでいます。

 


史料が現代に伝えられるまでー史料修復セミナーを開催しました!

2019年10月24日

大阪大学適塾記念センターでは適塾に関連した多くの文化財を所蔵しています。

そのほとんどが100年~150年以上前の史料です。
普段はそうした史料の調査・研究を行い、その成果を雑誌『適塾』や関連事業などで公開しています。
しかし、こうした史料はどのように保存・継承され、研究に活用されているのでしょうか??
今回は2019年10月2日(水)に開催した大阪大学適塾記念センター・大阪大学大学院文学研究科日本史研究室共催史料修復セミナーの様子とともに、その様子を少しだけお伝えします!

この度、今年度の特別展示でお借りした本学大学院経済学研究科経済史経営史資料室所蔵の 尼崎町一丁目の水帳絵図 (屋敷図)をご許可を得て、熟覧、修復する機会を得ました。 尼崎町一丁目(現・今橋三丁目) は、緒方洪庵らが種痘事業を展開した 大坂除痘館 (2代目)や儒学塾・ 懐徳堂 などがあった町です。

今回は経年等で剥がれてしまった張紙を貼り直し、剥がれかけた部分を補修する作業を行いました。剥がれてしまった張紙は元の位置がどこなのかわからない状態になっていましたが、水帳絵図とセットで作られる水帳の情報や虫喰いの跡などを頼りに元の位置を特定しました。

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修復にはでんぷん糊を水で溶いて使用します。現在一般的に使用されている液状糊などは古文書に悪影響を与えるため使用しません。古文書はすべて1点しかなく、一度形状を変えてしまうと二度と戻りませんので、慎重に作業します。

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文学部で日本史を学ぶ学生さんも多く参加し、文化財を守り、後世に伝えていく方法や意味について考える機会ともなりました。

ご協力いただいた皆さまありがとうございました!

公式facebookページ では他の画像も公開しています。適塾に関する豆知識や行事のお知らせなどを配信しています!

https://www.facebook.com/TekijukuCommemorationCenter/

↓関連イベント:過去に屏風下張り文書剥がし実習を行いました。
http://www.tekijuku.osaka-u.ac.jp/center/blog/2014/
( 適塾記念センターブログ2014年7月10日分)
http://koborestore.blog.fc2.com/blog-entry-173.html
(レストアさんのブログ)

※画像の無断転載はご遠慮ください。


令和元年度適塾見学会(夏季)開催

2019年7月6日

6月9日(日)、適塾見学会(夏季)を開催しました。

適塾見学会は適塾記念会の会員の方を対象として、適塾や蘭学などの関連史跡を巡る会です。

毎年夏と秋の2回開催しています。

今回は「適塾とその周辺をたずねる」をテーマに、村田路人教授(文学研究科、適塾記念センター兼任)の案内で、大阪にある加島屋本家跡や初代適塾・除痘館跡などを訪れました。

西横堀川

西横堀川跡にて

肥後橋駅周辺から見学会を開始し、初代適塾があった旧津村東之町まで南へ下った後、勝海舟寓居跡などに立ち寄りつつ、適塾へ。途中、2代目適塾のすぐ南にある除痘館跡(2代目)も見学しました。

適塾では、「除痘館記録」、「扶氏医戒之略」などセンター所蔵の貴重史料をご覧いただきました。

適塾内解説

適塾内での史料閲覧の様子

暑い中ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。


令和元年適塾特別展示「北船場地域と適塾・除痘館」開催

2019年6月6日

6月4日(火)より、特別展示 「北船場地域と適塾・除痘館」 を開催しております。

適塾は、天保9年(1838)に、蘭医学研究の第一人者とされる蘭方医緒方洪庵(1810-1863)によって、大坂の瓦町に開かれました。その後、弘化2年(1845)、洪庵は当時の過書町(現・北浜三丁目)に塾を移転します。これが現存する適塾です。また万延元年(1860)年には、尼崎町一丁目(現・今橋三丁目)に洪庵らが開設した種痘(天然痘予防)事業の普及拠点である除痘館も古手町(現・道修町四丁目)から移されます。

書斎1

書斎では、幕末期の適塾周辺の様子がわかる古地図マットを置いています。上を歩いていただけますよ!

本展示会では、かつて適塾や除痘館が存在した 「北船場」 地域の歴史にスポットをあてます。本展示を通して、洪庵や塾生らがどのような環境下で、どのような人々と関係を取り結びながら、研鑽を積んでいたのかを明らかにします。

家族部屋1

家族部屋では、洪庵や塾生らが活動した時期の北船場の歴史と適塾・除痘館の変遷をおっています。

~主な展示品~

①緒方洪庵が過書町(現・北浜三丁目)の町屋を購入した際の史料一式(「永代売渡申家屋敷之事」ほか)

②2代目適塾があった過書町の様子を伝える土地台帳(「過書町水帳」)

③種痘事業の拠点・除痘館(2代目)や儒学塾・懐徳堂があった尼崎町一丁目(現・今橋三丁目)の土地台帳・地積図(「尼崎町一丁目水帳・水帳附図」)

④緒方洪庵自筆の日記(「癸丑年中日次之記」)

⑤塾生福澤諭吉の自伝(『福翁自伝』)

⑥明治期の適塾の門人帳(「紀元弐千五百四拾歳 入門人名録」)

特別展示は6月16日(日)まで、適塾1階において開催しております(10:00~16:00開館、月曜休館)。

皆様のご来館を心よりお待ちしております。